大のうどん好きで、「何食べたい?」って尋ねるとうどん、ジャパニーズレストランに行くと必ずうどん、なんですって。
よくわかるわ~~(笑)
韓国からファミリーでお越しになるお客様は、ウチでは珍しいのです。
「Come again!」ですって。わ!嬉しいなぁ。
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" />大のうどん好きで、「何食べたい?」って尋ねるとうどん、ジャパニーズレストランに行くと必ずうどん、なんですって。
よくわかるわ~~(笑)
韓国からファミリーでお越しになるお客様は、ウチでは珍しいのです。
「Come again!」ですって。わ!嬉しいなぁ。
小学校の同級生の男の子たち。
それぞれのご家族連れで遊びに来てくれました。
みんなそれぞれ、いろんな太さやカタチのうどんのできあがり。それぞれ味は違うと思うけれど、どれもきっと自分のが一番おいしい!って感じると思うよ!
幼稚園のお二人さん。
最初は静かにしずかに、話しかけてもこくん、とうなずくだけでまさに借りてきた猫、だったのが場所にもなれて調子がでてきて、にぎやかな笑い声をあげてながら遊ぶようになっていくのを見るの、所長は大好きです。
今日もありがとうございました!
一昨日は楽しく、美味しく、そして懐かしい時間をありがとうございました(^-^)
おそらくテッパンであろうイリコスキーの由来の説明が、超特急であったのは緊張からだったのでしょうかww
その後は、出したら片付ける出したら片付けるの無駄のないなめらかな動きと、適時的確なアテンションで誰一人脱落することなく短時間で師範麺状を頂くことができました(≧∇≦)
お家でも作ってみます。ありがとうございました。
投稿者: あっちゃん様
なんと20年ぶり?30年ぶり?学生時代、サークルで一緒だった友人たちが体験教室に遊びにきてくれました。いや~、みなさんお変わりなくって、というかやっぱり歳とったね、っていうか(笑
うどん作り体験教室をはじめてから一番緊張した回だったかもしれません。
朝の回では、春に続いて2回めのご家族も。妹ちゃんは、もう少ししたら一緒に遊べるかな?
さて、今日は夕方の回はお休みをいただいて、サークルの同窓会へ行ってまいります!みんな、どうしてるかなぁ。
マンガじゃない科学の本にはじめて触れたのがこの本だった。岩波科学の本という中学生向けのシリーズの一冊。
当時父親は息子たちを理系の道に進ませたいと考えていたようで科学に関する本をよく買い与えられていた。
著書は東京大学東京天文台の森本雅樹先生。奥付によると当時は助教授だったようだけれど、この本で覚えた森本先生の名前はその後も書籍や雑誌をはじめいろんなところで見かけることになる。
数式は出てこないとはいえ、歴史に残るそれぞれの時代の最先端の望遠鏡がなぜ作られなければならかったのか、それを製作したのがなぜその人びとだったのか。観測の理論的な考え方や技術的なことも含めて文章と図や写真だけで説明されていくわけで、当時小学生だった僕に理解できたとはとても思えない。
ちゃんと記憶に残っているのは表紙にもなっている、森本先生が深く携わった6メートルミリ波望遠鏡の章と、野辺山につくった最新鋭45メートル電波望遠鏡の章の一部分だ。先生ご自身の苦労話がエッセンスとしてたくさん散りばめられていて、きっと小学生にも身近なものに感じたんだろうな。
観測装置の話だから、夜空にきらめく星のロマンチックな描写や星座の話題は出てこない。天文学者たちが自らの疑問を解き明かす観測を行うために、当時の最先端の技術をいかに使って最新鋭の機材を作り上げたかという話題が並べられる。
この本にも刺激を受けて将来は天文学者になりたい、と僕はその後考え始める。
香川の田舎町の夜空は今よりもずっとはっきりたくさんの星が見えた。父の知り合いから譲ってもらった手作りの望遠鏡を脚立に載せて覗いたり、星座を覚えようとしてみたり、たくさんの書籍を買ってもらったり。
ただ、星座に関するギリシャ神話を読もうとがんばっていたことにも象徴されるように(カタカナの固有名詞がどうにも覚えられなくて悪戦苦闘の連続だった)、子どもが漠然と想像する「天文学者」というものへのあこがれだけを持っていたらしい。
当時は気がついていなかったけれど、きっと僕は天体や宇宙への関心よりも、それを観測するための望遠鏡やロケット、宇宙探査機、そういった機械、機材、メカが好きだったんだな、と今となっては思い返すことが多い。観測される対象や観測手法ではなくって興味があったのは観測機械。
理学部を目指していた僕は、結局高校2年の時文系に舵を切ることになる。あの頃、そこに気がついていれば…理学部じゃなくって工学部のほうが自分の興味にあってるんじゃないの?と考えてみることがあったら、その後の僕はなにか違っていたんだろうか。
ところで、これをブログに書こうと思ったほんとのきっかけは、友人が記事をシェアしたひと月後、9月にたまたま見かけた別のサイトの記事だった。
1970年、大阪万博の年に東京・三鷹に建設されたミリ波望遠鏡は、その後野辺山、水沢、鹿児島へと移設されたのだけれど、2018年10月(まさに今だ!)、三鷹の国立天文台へ里帰りすることになったらしい。
半世紀弱にわたる観測施設としての役目を終えて、日本最初のミリ波望遠鏡を記念する、モニュメント的な施設になるのかな。