イリコスキー製麺所 所長のブログ

半夏生=うどんの日

少しばかり前の話。友人と話していて、「7月2日ってうどんの日。知ってた?」あぁ、すっかり忘れてました。

制定したのは香川県生麺事業協同組合、7月2日に固定されてるけど、もともとは半夏生にあたる日が7月2日前後になるので覚えやすいようにこの日にしたのでしょう。

半夏生と香川県、といえば映画「八日目の蝉」で使われた小豆島の虫送りが行われるのも半夏生でしたっけ。正直、それまで半夏生というのは知りませんでした。

2年前ぐらいのNHKの新日本風土記の「うどん」では、半夏生に行われるうどんの風習を取り上げてました。田植えの終わった田んぼの畦にその春にとれた小麦粉で打ったうどんをお供えして、そして農作業を手伝ってもらった人たちに振る舞う、という。これが半夏生をうどんの日とした由来なんでしょうね。
麦刈りと田植え、大変な時期を終えてほっと一息つくころ、ということなのでしょうか。

水の少ない香川県では小麦は貴重な農産物だっただろうし、さらに大切な田植えが終わったシーズンに直前に収穫された小麦で作った食品を備える、というところに農家の思いが込められているような気がします。
米の収穫が終わって、白玉粉でつくったお団子をお月見に供えるのとペアになっているようにも思えますね。

新日本風土記に映されていた風景は、晴天の真っ青な夏の空の下に青々と成長した稲が茂っていて、その横に三宝に乗せられたうどんがお供えされている、という不思議な光景でした。
7月といえば現在ではもう稲の開花の時期ですね。ゴールデンウィークに田植えが終わるところが多いですから、昔、二毛作をしていたころの半夏生の田んぼの光景とはずいぶん違っているのかも知れません。

香川県ではうどんの日には「献麺式」や県産小麦「さぬきの夢2009」で打ったうどんのご接待(という呼び方がいかにも香川県です)といった行事があったようです。

残念ながら僕の記憶には、自宅周辺の麦秋の風景はかろうじてあるけれども、うどんを田んぼにお供えしていたのは見たことがありません。
うどん文化としてはきっと、僕が育った東讃(香川県の東部地域)よりも西讃のほうが強かったから、きっと東讃ではそういった風習はなかったのかな、とも思います。

ただし子どもの頃はそういった風習にはあまり興味がなかったし、そもそも僕は子どもの頃の記憶がかなり少ない、ってこともあって、かなりアヤしい推測ではあります。

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